目次

[1]気付けば東京六大学を意識 夏からの切り替えで早稲田実業に合格
[2]早稲田実業伝統の自立を重んじる指導の中で日々鍛錬
[3]威圧感に満ちた甲子園球場と悔いしか残らなかった最後の夏
[4]ドラフト指名選手とも互角の実力。大学野球での成長を生んだ二つのポイント
[5]野球は大学で終わり。卒業後、公認会計士の道へ
[6]監査法人を3年で退所。友人との共同経営で独立へ

[7]経営者となり人材育成の重要性を実感。まだ道の途中

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【一覧】人生で大切なことは高校野球から教わった


 公認会計士、税理士、行政書士として多くの企業の経営をサポートしているのが、ブレイクスルーパートナー税理士法人の阿部慎史代表だ。
 東京六大学野球連盟や日本学生野球協会などの顧問会計士も務めており、野球界との関わりも持っているが、そんな阿部さんも元々は甲子園出場を夢見る野球少年であった。
 王貞治氏や清宮 幸太郎選手(日本ハム)などを輩出した早稲田実業出身の阿部さんは、高校2年生の夏に控え選手ながら甲子園出場を経験。その後、早稲田大学でも野球を続けて、東京六大学野球の舞台で活躍したが、現在の活躍の基礎を作ったのは早稲田実業での3年間の高校野球生活であると断言する。
 3年間の高校野球生活から得たもの、そして現在のビジネスとの繋がりとは。

気付けば東京六大学を意識 夏からの切り替えで早稲田実業に合格



ブレイクスルーパートナー税理士法人・阿部慎史代表(早稲田実業OB)

 1979年生まれ、東京都保谷市、現在の西東京市出身の阿部さん。
 三兄弟の末っ子で二人の兄が野球をやっていた影響から、物心ついた頃にはキャッチボールをするようになっていた。小学校に入学すると、地元の少年野球チーム・保谷ユニバースに入団して野球に慣れ親しんだ。
「はじめはいろいろなポジションをやりました。ピッチャーや内野、外野も経験しましたが、最終的にはキャッチャーを任されました。低学年の時からキャッチャーを守るのが好きで、そこから大学までずっとキャッチャーです」
 中学時代は硬式野球チームの保谷ドジャース(現:西東京ドジャース・ポニーリーグ)に所属し、ここでは打撃も大きく成長する。3年生時にはクリーンナップを任されるまでになり、地域では名の知れた存在に。チームは強豪とまではいかなかったが、攻守の要として活躍した。
「中学時代は毎日野球ばかりでした」と振り返る阿部さんだが、実は中学校は国立の東京学芸大学附属小金井中学校に通っていた秀才でもあった。阿部さん、そして同級生は受験をくぐり抜けてきた生徒ばかりで、学業への意識は高い環境である。阿部さんも周囲に引っ張られる形で勉強に食らいついていた。
 また、法政大学出身の父の影響から、気が付けば東京六大学を意識するようになっており、部活動を引退した中学3年の夏以降は高校進学のための受験勉強に集中。最終的に法政大学第一(現:法政大学高校)、立教新座早稲田実業の3校を受験し、早稲田実業商業科への進学を決めた。
「両親は教育熱心なタイプではなかったと思いますが、それでも『宿題はやったの』くらいは言われていました。中学時代は勉強と野球を両立したというよりも、引退するまでは野球に専念して、3年生の夏から勉強にエンジンがかかった感じでしたね」