目次

[1]野球よりもバスケット少年だった小学校時代
[2]立場や責任が選手としての自覚を生む
[3]選手の自主性を重んじた市原勝人監督の指導方針
[4]怪我が続き大学を中退。アルバイトに明け暮れる日々

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 9年間、プロ野球選手としてプレーし、引退直後に起業。いまはビジネスパーソンとして活躍しているのが、株式会社l'unipue(リュニック)の小杉陽太社長だ。

 2008年にドラフト5位で横浜ベイスターズに入団し、プロ生活9年間で86試合に登板した小杉さん。晩年は中継ぎとして2年連続で20登板以上を果たすなど、チームに欠かせない存在となったが、怪我の悪化から2017年に現役を引退。その後は経営者としてイベント事業をスタートし、現在では企業PRやコンサルティングなど、幅広い専門性を武器に実績を上げ続けている。

 そんな小杉さんは、鈴木 誠也選手(広島東洋カープ)などを輩出した東京都の名門・二松学舎大附の出身で、現在の活躍の土台は高校時代にすべて作られたと断言する。

 3年間の高校野球は、小杉さんにどのような影響を与えたのだろうか。

野球よりもバスケット少年だった小学校時代



二松学舎大附OB 小杉陽太さん

 1985年生まれ、東京都江東区出身の小杉さん。

 学生時代にバスケットボールに打ち込んだ両親の影響から、幼い頃は野球ボールではなくバスケットボールに触れる機会が多かった。小学校の低学年時からミニバスケットボールのチームにも入っていたが、6年生の時に大きな転機が訪れる。

 同じクラスに少年野球チームでキャプテンを務める友人がおり、助っ人として誘われたことで野球への興味が湧いてきたのだった。
「小学校6年生の5月に、人数が足りないからとチームに誘われ、そこで野球の面白さに惹かれてチームに入りたいと思いました。両親にははじめは反対されましたが、最終的には『自分がやりたいのであればいいよ』と認めてもらい入団することができました。
 実は両親がバスケをやっていたことから、自分も仕方なくやっていた側面があり、最後の方は半分やらされている状態でした。やめる理由を探してたところに、野球があったという感じで、そこからのめり込んでいきましたね」

 入団したチームは、松坂 大輔さん(埼玉西武ライオンズ)もかつて在籍した東陽フェニックス。バスケットボールで培った運動神経を武器に、入団直後から三塁手を務め、また夏以降からは投手も任されるなど即戦力として活躍した。

 実はバスケットボール以外にも、これまでサッカーや水泳を経験しており、小杉さんは様々なスポーツに触れる中で、運動神経が発達していったのではないかと口にする。
「バスケ以外に水泳もやっていて、さらに一時期は平日にサッカーの練習が入るなど、忙しくいろいろなスポーツをしていました。野球は、空き地で友人とカラーボールでのキャッチボールをする程度でしたが、今思うと運動神経が鍛えられたことで野球にもすぐに対応できたのかなと思います」

 その後、小学校6年生の1月からは硬式野球に触れるために東京北砂リトルに入団し、中学1年生の夏からは中学硬式ポニーリーグの強豪・江東ライオンズへと進んだ小杉さん。東京北砂リトルと江東ライオンズが練習するグラウンドは隣り合っており、自然な流れで入団を決めたという。

 下級生時は肘を怪我した影響で野手中心のメニューをこなしていたが、怪我の癒えた2年生の夏以降はチームの絶対的なエースとして君臨する。

 周りの中学生よりも頭一つ抜けた身長に、しなやかな腕の振りから投げ込む伸びのある直球。関東圏ではたちまち注目を浴びる存在となり、中学3年生の夏には球速は135キロを記録した。

 全国各地の高校から声を掛けられたが、その中で小杉さんは地元の強豪校・二松学舎大附への進学を決める。
「同じチームから同級生二人が二松学舎大附に進学することが決まっていて、また自宅から近いことが決め手になりました。その他にも、東京都内の強豪校や遠いところでは沖縄からも声を掛けていただきましたが、江東ライオンズに二松学舎大附出身のスタッフが多くいたことも安心できるなと思いましたね」